ABBEY ROAD – THE BEATLES

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Side A

  1. Come Together
  2. Something
  3. Maxwell’s Silver Hammer
  4. Oh ! Darling
  5. Octopus’s Garden
  6. I Want You (She’s so heavy)

Side B

  1. Here Comes The Sun
  2. Because
  3. You Never Give Me Your Money
  4. Sun King
  5. Mean Mr. Mustard
  6. Polythene Pam
  7. She Came In Through The Bathroom Window
  8. Golden Slumbers
  9. Carry That Weight
  10. The End
  11. Her Majesty

宅録総括&全曲連続再生


 
1969年9月26日発売。リリース順としてはこの後発売される「レット・イット・ビー」が彼らのラストアルバムだが、レコーディング時期としては「レット・イット・ビー」よりも「アビー・ロード」の方が遅い。よって実質的にはこれが彼らにとって最後のレコーディング・セッションであり、ラスト・アルバムである。なおこのアルバムはステレオ版のみの発売でモノラル版は存在しない。

1969年1月。彼らは新らしいアルバム「ゲット・バック」のセッションに取り掛かった。アルバムをこの製作過程…リハーサル、レコーディング、ミキシング…を撮影した映画とセットでリリースしようという計画だった。このプロジェクトの提案者は「マジカル・ミステリー・ツアー」同様またしてもポール・マッカートニーだった。しかしバンドの状態は最悪で、作業は思うように進まず結局このプロジェクトは頓挫。彼らは大量のテープを放置してスタジオを去ってしまった。
その後しばらくしてポールが「昔のようにまたスタジオに集まろう。アルバムをプロデュースしてほしい」とプロデューサーのジョージ・マーティンに依頼。マーティンは「君たちが以前行った方法で出来るのであれば」という条件付きで同意した。

再びスタジオに集まった4人だったが「これが最後」というのは既に暗黙の了解事項となっていた。

本作はA面とB面で趣が違っている。
A面はロックンロールにこだわり続けたジョン・レノンの選曲によるもので、ほぼ彼の気に入るように作られた。
逆にB面はポールとジョージ・マーティンによるもので、大部分をメドレーが占めている。「サージェント・ペパー」とはまた違った物語性を持っており、評論家ウケする構成になっている。

リボルバー」以降駆使されたスタジオの高度なトリックやエキゾチックな楽器を使うことなく、最も洗練された作品になった。
そして本当に久しぶりに全員でほぼ全曲を演奏した。
彼らはキャバーン時代よりもはるかに洗練された手法でまだロックン・ロールを演奏できることを証明してみせたのだ。

レコーディング・スタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコード史上最も有名なもののひとつである。
エンジニアのジェフ・エメリックは、当初アルバムタイトルを自分が吸っていた煙草の銘柄にちなんで「エベレスト」にして、ジャケット写真をエベレスト山の麓で撮影するつもりでいた。しかしこのアイデアを聞いたポールが「ヒマラヤまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り、タイトルを(通りの名前)『アビイ・ロード』にすればいいじゃないか」と発案し、1969年8月8日に撮影された。それでも行き当たりばったりではなく一応の打合せはあったようで、ポールによるアイデア・スケッチと簡単なメモが残っている。撮影したのはジョンの友人のカメラマン、イアン・マクミランで、警察に依頼して通行止めにしてもらい(背景にパトカーが写っているのは、このため)、30分の間にメンバーが横断歩道を6回往復するところを撮影した中の1枚を採用した。なおフォトセッションの直前に撮影された写真が日本のシングル盤「オー!ダーリン」ジャケットに用いられている。

abbey-road-back裏ジャケは"ABBEY ROAD"と表示のある塀を撮影したものだが、その際、偶然青い服の女性が横切ってしまった。メンバーはこれを面白がりそのまま裏ジャケとして採用した。
アビー・ロード・スタジオ前のこの横断歩道は人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているにも関わらずジャケット写真のポーズを取る観光客が後を絶たず、昔から観光客の死亡事故や接触事故などが起こっている。

またこのジャケット写真はいわゆる「ポール死亡説」の根拠の一つともなった。
ポールはアルバム「サージェント・ペパー」製作途上の67年1月に自動車事故で死亡しており、以降彼によく似た人物がビートルズに加わった。各アルバムのジャケットにはそのことを暗に示すヒントが隠されている…というものだ。下記がその「死亡説」の裏づけとしてこのアルバムジャケットに隠されたとされる「ヒント」。

  • 素足で歩くポールは「死」を意味するマフィアのサイン。
  • 4人の隊列は「司祭・葬儀屋・死人・墓堀人夫」。
  • 駐車しているワーゲンのナンバー “IF28" は「もしポールが生きていたら、彼は28歳」という意味。
    (因みにこの「281F」のフォルクスワーゲンは1980年代に行われたサザビーズのオークションで5000ポンドで落札されている)
  • 左利きであるはずのポールが右手で煙草を持っている。

この他にも

  • 「サージェント・ペパー」のジャケットで、ポールの頭上にだけ手が掲げられている。
  • 「マジカル・ミステリー・ツアー」でポールが身につけた「黒のセイウチ」が「死」を意味している。
  • 同じく「マジカル・ミステリー・ツアー」のエンディングで4人が白のタキシードで登場しているがポールだけが胸に黒薔薇をさしていた。

もちろんこれはお遊びであったが、後年ジョンはアルバム"IMAGINE"に収録されたポールを皮肉った曲「眠れるかい?」でこの「死亡説」をネタにした一節を書いている。
“Those freaks were right when they said you were dead."
(あいつらは「お前は死んだ」と言った…その通りだった)

「アビー・ロード」は全世界では2,900万枚以上のセールスを記録。ロンドンのEMIレコーディング・スタジオはこのアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して「アビー・ロード・スタジオ」と改称した。


更新履歴:

2014.09.06 version 2.0録音終了
2014.04.10 version 2.0録音開始
2010.02.27 Come Togetherをversion 2.0 test editionに差し替え
2005.10.10 Somethingをversion 1.1に差し替え
2005.10.09 Here Comes The Sunをversion 1.1に差し替え
2004.02.28 録音終了→CD作成
2004.01.01 録音開始


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