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ABBEY ROAD

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Jacket Work

実家の目の前にある交差点。電線が走ってたり自治会掲示板見えたりして雰囲気は無いが…。
ビートルズ全曲制覇でアルバムを作ろうとした当初から「アビー・ロードのジャケットはここ」と決めていた場所。実家の前なので当然思い入れが強い場所だが、実はこの写真を撮影した数ヶ月後に景観ブチ壊しのパイロンが設置されてしまい、印象が全然変わってしまった。ギリギリの所で過去の風景を残すことができたのだ。
歩くのはやめました。小細工するのもやめました。が、車のナンバーの代わりに道路標識に”34 IF”と書いておきました。

更新履歴:

2010.02.27 Come Togetherを2ndテイクに差し替え
2005.10.10 Somethingを2ndテイクに差し替え
2005.10.09 Here Comes The Sunを2ndテイクに差し替え
2004.02.28 録音終了→CD作成
2004.01.01 録音開始

About This Album:

1969年9月26日発売。リリース順としてはこの後発売されるLET IT BEが彼らのラストアルバムとなるが、レコーディング時期としてはLET IT BEよりもABBEY ROADの方が遅い。よって実質的にはこれが彼らにとって最後のレコーディング・セッションであり、ラスト・アルバムである。なおこのアルバムはステレオ版のみの発売で、モノラル版は存在しない。

1969年1月。彼らは新らしいアルバム”GET BACK”のセッションに取り掛かった。アルバムをこの製作過程…リハーサル、レコーディング、ミキシング…を撮影した映画とセットでリリースしようという計画だった。このプロジェクトの提案者はまたしてもポールである。しかしバンドの状態は最悪で作業は思うように進まず結局このプロジェクトは頓挫。彼らは大量のテープを放置してスタジオを去ってしまった。
その後しばらくしてポールが「昔のようにまたスタジオに集まろう。アルバムをプロデュースしてほしい」とプロデューサーのジョージ・マーティンに依頼。マーティンは「君たちが以前行った方法で出来るのであれば」という条件付きで同意した。

再びスタジオに集まった4人。誰も明言はしないが、「これが最後」というのは既に4人の中では暗黙の了解事項となっていた。そう思うとこれまでの様々なわだかまりも押し殺すことが出来る。最後だからこそ発揮された集中力で創りあげられたこのアルバムはスタジオの高度なトリックやエキゾチックな楽器を使うことなく最も洗練された作品になった。そして本当に久しぶりに全員でほぼ全曲を演奏した。彼らはキャバーン時代よりもはるかに洗練された手法でまだロックン・ロールを演奏できることを証明してみせたのだ。

本作はA面とB面で趣が違っている。A面はロックンロールにこだわり続けたジョンの選曲によるもので、ほぼ彼の気に入るように作られた。逆にB面はポールとジョージ・マーティンによるもので、大部分をメドレーが占めている。SGT.PEPPERとはまた違った物語性を持っており、評論家ウケする構成になっている。

レコーディング・スタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコード史上最も有名なものの一つである。 エンジニアのジェフ・エメリックは、当初、アルバムタイトルを、エメリックが吸っていた煙草の銘柄にちなんで “Everest” にして、ジャケット写真をエヴェレスト山の麓で撮影する予定だった、と語っている。しかし、「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り、タイトルを(通りの名前)アビイ・ロードにすれば良いじゃないか」とポールが発案し、1969年8月8日に撮影された。それでも、行き当たりばったりではなく、一応の打合せはあったようで、ポールによるアイデア・スケッチと簡単なメモが残っている。撮影したのは、ジョンの友人のカメラマン、イアン・マクミランで、警察に依頼して通行止めにしてもらい(背景にパトカーが写っているのは、このため)、30分の間に、メンバーが横断歩道を6回往復するところを撮影した中の1枚を採用した。なお、フォトセッションの直前に撮影された写真が、日本のシングル盤”Oh ! Darling / Here Comes The Sun”のジャケットに用いられている。
裏ジャケは”ABBEY ROAD”と表示のある塀を撮影したものだが、その際、偶然青い服の女性が横切ってしまった。メンバーはこれを面白がりそのまま裏ジャケとして採用された。
アビー・ロード・スタジオ前のこの横断歩道は、人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているにも関わらず、ジャケット写真のポーズを取る観光客が後を絶たず、昔から観光客の死亡事故や接触事故などが起こっている。

またこのジャケット写真は、いわゆる「ポール死亡説」の根拠の一つともなった。
ポールはアルバムSGT.PEPPER〜製作途上の67年1月に自動車事故で死亡しており、以降彼によく似た人物がビートルズに加わった。各アルバムのジャケットにはそのことを暗に示すヒントが隠されている…というものだ。下記がその「死亡説」の裏づけとしてこのアルバムジャケットに隠されたとされる「ヒント」。

  • 素足で歩くポールは「死」を意味するマフィアのサイン。
  • 4人の隊列は「司祭・葬儀屋・死人・墓堀人夫」。
  • 駐車しているワーゲンのナンバー “IF28″ は「もしポールが生きていたら、彼は28歳」という意味。
    (因みにこの「281F」のフォルクスワーゲンは1980年代に行われたサザビーズのオークションで5000ポンドで落札されている)
  • 左利きであるはずのポールが右手で煙草を持っている。

この他にも

  • SGT.PEPPER〜でポールの頭上にだけ手が掲げられている。
  • MAGICAL MYSTERY TOURでポールが身につけた「黒のセイウチ」が「死」を意味している。
  • 同じくMAGICAL MYSTERY TOURのエンディングで4人が白のタキシードで登場しているがポールだけが胸に黒薔薇をさしていた。

もちろんこれはお遊びであったが、後年ジョンはアルバム”IMAGINE”に収録されたポールを皮肉った曲”How Do You Sleep ?”でこの「死亡説」をネタにした一節を書いている。
♪Those freaks were right when they said you were dead.
♪(あいつらは「オマエは死んだ」と言った…その通りだった)

ABBEY ROADは全世界では2,900万枚以上のセールスを記録。ロンドンのEMIレコーディング・スタジオはこのアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して「アビー・ロード・スタジオ」と改称した。

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